同じ「描く」文化でもこれだけ違う?美術と漫画研究部(漫研)
文化祭ではたびたび芸術要素が特徴的な企画が見られますが、とりわけ美術と漫画研究部(以下、漫研)は、芸術系の企画におけるツートップ的な存在感があります。今回はこれらの芸術文化に焦点をあてて、それぞれの魅力や違いを探っていきます。
美術、いわゆる現代アート。美術と一言でいっても、その種類や内容は多岐にわたります。変わったものだと折り紙や陶芸、はてはトリックアートに至るまで本当にいろいろありますが、一般的に連想されやすいものだとやはり絵画や彫刻あたりになるのでしょうね。
文化祭でも大よそイメージ通り、部員の手で描かれた絵画を始めとした、たくさんの芸術作品が展示されている学校が多いです。
その絵画だけでも、基本的な下絵や油絵から、色紙を使ったちぎり絵や黒板を丸ごとキャンパスにした黒板アートまで、さまざまな技巧で見るものを楽しませてくれます。
文化祭で見られる美術はさながら「本物の美術館のミニチュア版」といった感覚で、筆者としても気軽にふれられる点がお気に入りです。何も知らずにいきなり大きな美術館に行くよりは、こちらの方がハードルが低いからという理由もあるのですが。(笑)
また、文化祭での美術は純粋な企画以外にも、ときにはパンフレットの表紙や一部の看板、オブジェといった装飾でもその活躍が垣間見えます。これらの点からも、美術は文化祭を彩り豊かなものに仕上げるためには不可欠な存在と言っても過言ではないのでしょう。
漫研(漫画)、言わずと知れたサブカルチャーの代表的な存在。これまで生きてきた中で、今まで一度も漫画にふれたことがないという人はおそらくいないのではないでしょうか。
ちなみに「漫研」いう名称でなくとも、イラスト部や創作サークルといった名目で活動しているところであれば、大体このカテゴリに属すると思います。
その認知度の高さもあってか、文化祭でも前述の美術に勝るとも劣らないほどに、見かける頻度が多い部類の企画になります。子どもにも人気が高く、間口の広さという点では美術よりも親しみやすい企画・文化と言えるかもしれませんね?
絵(イラスト)を主体とした、作品の展示や公開がメインという点では美術のそれと概ね同じですが、漫研はどちらかというと、洗練さよりもラフな感じを売りにしている印象を受けます。
特に、自由に落書きが楽しめるコーナーなどがあると、親近感や和みすら感じます。一度でもご覧になった人にはわかるかと思いますが、著作権の垣根をも軽々と越えるあの光景はもはや壮観ですね…(笑)。
他にも、美術と比べてどこか流行を強く意識した部分がちらほら見受けられるので、サブカルチャー関連の旬の話題にふれたい!という人にも十分楽しめるのではないでしょうか。
まず双方の共通点についてですが、わかりやすいものを取りあげてみると
こういったものが連想されるでしょうか。
美術と漫研は何と言っても、紙とペンさえ手元にあれば、どちらも気軽に楽しめる(始められる)点が魅力的です!
そして、美術や漫研に限らず世界観を追求することは、芸術作品やクリエイティブな活動にたずさわるうえでは切っても切れない理念になります。
そもそも美術でも漫研でも、他人に作品を見せる時点で多少なりとも「誰かに認められたい」欲求があるものだと思っています。もしも単純に描くことだけが目的なら、わざわざ他人に見せるまでもなく自己満足で完結するはずなので、つまりはそういうことなのでしょう。
見た目こそ違えど、自分の作品に対してどこまでも追求するストイックな姿勢は、美術であろうと漫研であろうと変わらないのだろうと思います。
それでも美術と漫研、名称も出し物もそれぞれ違う以上はやはり、求めるものや価値観の方向性にも明確な違いがあるのではないかと感じるのもまた事実です。それは一体何なのでしょうか?
試しに思い浮かんだものを挙げてみると
全体的な雰囲気(第一印象)
観客(おもな対象)
展示物(出し物)
一部例外もあるかもしれませんが、こうして並べてみるとその違いがうっすらと見て取れるはずです。結局のところ、美術と漫研の大きな違いは「その作品を通したメッセージ(訴え)を、誰に向けて発信しているか」に尽きるのではないかと考えています。
すなわち、メッセージが内部・内側へと向けられたもの(美術)であるか、外部・外側へと向けられたもの(漫研)であるかの違いです。
言ってしまえば、他人よりも何よりもまず、自分自身のために作品を生み出しているのが美術という文化になります。他人の目を気にせず作品と向き合う様は、まさに美学そのものです。(もちろん誰かのために作品を手がけている美術作家もいるとは思いますが…)
作品を公表するにしても、それはたくさんの人に認められたいからというよりは、むしろわかる人にだけ理解してもらえればいいといった感覚の方が強いのではないでしょうか。そうしたどこか繊細で謙虚なイメージが見え隠れするのは、多種多様な造形の作品が生まれる美術ならではと言えます。
エンターテインメントの観点からしても、美術は極めて特殊な立ち位置におかれていることは間違いないはずです。
また、著名な美術家(芸術家)たちの中で、生前ではなく死後になってから作品が評価されたという話題はときどき耳にすることがありますが、もしかしたらそのあたりとも少なからず関係しているのかもしれません。
一方で漫研の方も、自分の好みで作品を生み出すという点では美術とさほど違いはありませんが、その方向性については美術とは反対に、どこか他者や世間に対して強く向けられているようにも見えます。
先ほど、漫研は何かと流行に敏感であることについて記しましたが、これは実際に文化祭を始めとした公の場においても色濃く反映されています。
特に、少し前まではあちこちで頻繁に描かれていたネタやキャラクターなどが、いつの間にか影も形もなかったりすることがあるのは、まさにそうした時代の移り変わり(諸行無常)を体現しているからであると言えるでしょう。
これは見方によっては、作者が自分の作品を表現するにあたって、世間や他者からの反応(評価)を無意識のうちに求めていることの証明にもなります。
漫画ならびに創作の世界では作品のクオリティに関係なく、完全に0からのオリジナルの作品で挑むよりも、ある程度は時流にあやかったものを作った方が結果的に人気につながりやすかったりするものです。
自分の描きたいものよりも、どちらかというと他者や世間からの反応が優先されるという意味では、漫研は美術とは対照的にコミュニティー(共有やつながり)に重きをおいているような印象があります。
外向的な性質が強い漫研タイプの芸術は、いかにもエンターテインメントに適した文化であると言えるのでしょうね。
似た者同士の文化ということもあって何かと比較が多くなりましたが、美術と漫研のどちらがいい悪いと言うようなものでもないため、その点は何卒ご理解ください。
それでもこうした価値観や目的の微妙な違いを理解しておくことで、それぞれの文化に対する楽しみ方や印象、着眼点などがまた一段と変わってくるはずです。
人の可能性やイメージは、それこそ無限に広がっていくものです。それこそ美術や漫研のように、ときには自分にとっての理想のイメージを心ゆくまで「描いて」みるのもまた面白いかもしれませんね。
次の記事↓
文化祭の天文から学ぶ、「未知」の魅力を伝えることの難しさと楽しさ
じつは似たもの同士?美術と漫研の概要
文化祭における美術
美術、いわゆる現代アート。美術と一言でいっても、その種類や内容は多岐にわたります。変わったものだと折り紙や陶芸、はてはトリックアートに至るまで本当にいろいろありますが、一般的に連想されやすいものだとやはり絵画や彫刻あたりになるのでしょうね。
文化祭でも大よそイメージ通り、部員の手で描かれた絵画を始めとした、たくさんの芸術作品が展示されている学校が多いです。
その絵画だけでも、基本的な下絵や油絵から、色紙を使ったちぎり絵や黒板を丸ごとキャンパスにした黒板アートまで、さまざまな技巧で見るものを楽しませてくれます。
文化祭で見られる美術はさながら「本物の美術館のミニチュア版」といった感覚で、筆者としても気軽にふれられる点がお気に入りです。何も知らずにいきなり大きな美術館に行くよりは、こちらの方がハードルが低いからという理由もあるのですが。(笑)
また、文化祭での美術は純粋な企画以外にも、ときにはパンフレットの表紙や一部の看板、オブジェといった装飾でもその活躍が垣間見えます。これらの点からも、美術は文化祭を彩り豊かなものに仕上げるためには不可欠な存在と言っても過言ではないのでしょう。
文化祭における漫研 (漫画)
漫研(漫画)、言わずと知れたサブカルチャーの代表的な存在。これまで生きてきた中で、今まで一度も漫画にふれたことがないという人はおそらくいないのではないでしょうか。
ちなみに「漫研」いう名称でなくとも、イラスト部や創作サークルといった名目で活動しているところであれば、大体このカテゴリに属すると思います。
その認知度の高さもあってか、文化祭でも前述の美術に勝るとも劣らないほどに、見かける頻度が多い部類の企画になります。子どもにも人気が高く、間口の広さという点では美術よりも親しみやすい企画・文化と言えるかもしれませんね?
絵(イラスト)を主体とした、作品の展示や公開がメインという点では美術のそれと概ね同じですが、漫研はどちらかというと、洗練さよりもラフな感じを売りにしている印象を受けます。
特に、自由に落書きが楽しめるコーナーなどがあると、親近感や和みすら感じます。一度でもご覧になった人にはわかるかと思いますが、著作権の垣根をも軽々と越えるあの光景はもはや壮観ですね…(笑)。
他にも、美術と比べてどこか流行を強く意識した部分がちらほら見受けられるので、サブカルチャー関連の旬の話題にふれたい!という人にも十分楽しめるのではないでしょうか。
美術と漫研のただならぬ関係性について
ここまでざっくりと紹介しましたが、それでもどこか似たり寄ったりな印象のある美術と漫研。以下では美術と漫研について、いろいろな角度から比べていきたいと思います。美術と漫研それぞれの共通点
まず双方の共通点についてですが、わかりやすいものを取りあげてみると
- 美術と漫研は基本的に「描く」タイプの芸術文化
- 作品を生み出す(創造する)ことで、独自の世界観を追求している
- 風刺、あるいは価値観の共有を目的にする人もいる
こういったものが連想されるでしょうか。
美術と漫研は何と言っても、紙とペンさえ手元にあれば、どちらも気軽に楽しめる(始められる)点が魅力的です!
そして、美術や漫研に限らず世界観を追求することは、芸術作品やクリエイティブな活動にたずさわるうえでは切っても切れない理念になります。
そもそも美術でも漫研でも、他人に作品を見せる時点で多少なりとも「誰かに認められたい」欲求があるものだと思っています。もしも単純に描くことだけが目的なら、わざわざ他人に見せるまでもなく自己満足で完結するはずなので、つまりはそういうことなのでしょう。
見た目こそ違えど、自分の作品に対してどこまでも追求するストイックな姿勢は、美術であろうと漫研であろうと変わらないのだろうと思います。
美術と漫研それぞれの相違点
直前で述べた双方の共通点は、言い換えれば「芸術系の文化全般に言える、本質的な要素」ではないかと筆者は考えています。この点だけ見ると、双方の境界線は意外とあいまいであるようにも見えますね。それでも美術と漫研、名称も出し物もそれぞれ違う以上はやはり、求めるものや価値観の方向性にも明確な違いがあるのではないかと感じるのもまた事実です。それは一体何なのでしょうか?
試しに思い浮かんだものを挙げてみると
全体的な雰囲気(第一印象)
- 美術はシックで物静か
- 漫研はカジュアルで賑やか
- 美術は大人にとっても親しみやすい
- 漫研は子どもにとっても楽しみやすい
- 美術は絵画や彫刻、工作、似顔絵、アトリエなど
- 漫研は漫画やイラスト、部誌、落書き、塗り絵など
一部例外もあるかもしれませんが、こうして並べてみるとその違いがうっすらと見て取れるはずです。結局のところ、美術と漫研の大きな違いは「その作品を通したメッセージ(訴え)を、誰に向けて発信しているか」に尽きるのではないかと考えています。
すなわち、メッセージが内部・内側へと向けられたもの(美術)であるか、外部・外側へと向けられたもの(漫研)であるかの違いです。
美術と漫研、それぞれの芸術文化に対するイメージ
ここからは少しだけ専門的な話題になりますが、美術では自分(作者)の作品を手掛けるときには、そのときの自分が抱いている感情やイメージを、作品にそのままぶつけることで形に仕上げる人が多いはずです。言ってしまえば、他人よりも何よりもまず、自分自身のために作品を生み出しているのが美術という文化になります。他人の目を気にせず作品と向き合う様は、まさに美学そのものです。(もちろん誰かのために作品を手がけている美術作家もいるとは思いますが…)
作品を公表するにしても、それはたくさんの人に認められたいからというよりは、むしろわかる人にだけ理解してもらえればいいといった感覚の方が強いのではないでしょうか。そうしたどこか繊細で謙虚なイメージが見え隠れするのは、多種多様な造形の作品が生まれる美術ならではと言えます。
エンターテインメントの観点からしても、美術は極めて特殊な立ち位置におかれていることは間違いないはずです。
また、著名な美術家(芸術家)たちの中で、生前ではなく死後になってから作品が評価されたという話題はときどき耳にすることがありますが、もしかしたらそのあたりとも少なからず関係しているのかもしれません。
一方で漫研の方も、自分の好みで作品を生み出すという点では美術とさほど違いはありませんが、その方向性については美術とは反対に、どこか他者や世間に対して強く向けられているようにも見えます。
先ほど、漫研は何かと流行に敏感であることについて記しましたが、これは実際に文化祭を始めとした公の場においても色濃く反映されています。
特に、少し前まではあちこちで頻繁に描かれていたネタやキャラクターなどが、いつの間にか影も形もなかったりすることがあるのは、まさにそうした時代の移り変わり(諸行無常)を体現しているからであると言えるでしょう。
これは見方によっては、作者が自分の作品を表現するにあたって、世間や他者からの反応(評価)を無意識のうちに求めていることの証明にもなります。
漫画ならびに創作の世界では作品のクオリティに関係なく、完全に0からのオリジナルの作品で挑むよりも、ある程度は時流にあやかったものを作った方が結果的に人気につながりやすかったりするものです。
自分の描きたいものよりも、どちらかというと他者や世間からの反応が優先されるという意味では、漫研は美術とは対照的にコミュニティー(共有やつながり)に重きをおいているような印象があります。
外向的な性質が強い漫研タイプの芸術は、いかにもエンターテインメントに適した文化であると言えるのでしょうね。
まとめ
- 美術と漫研(漫画)はともに芸術文化であり、展示物などの表面的な雰囲気こそ似通っているものの、その本質は結構異なる
- 美術が求めるものは文字通り「美学」、漫研が求めるものは「コミュニティー」である傾向が強い
似た者同士の文化ということもあって何かと比較が多くなりましたが、美術と漫研のどちらがいい悪いと言うようなものでもないため、その点は何卒ご理解ください。
それでもこうした価値観や目的の微妙な違いを理解しておくことで、それぞれの文化に対する楽しみ方や印象、着眼点などがまた一段と変わってくるはずです。
人の可能性やイメージは、それこそ無限に広がっていくものです。それこそ美術や漫研のように、ときには自分にとっての理想のイメージを心ゆくまで「描いて」みるのもまた面白いかもしれませんね。
次の記事↓
文化祭の天文から学ぶ、「未知」の魅力を伝えることの難しさと楽しさ
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