岐路に立ったとき、あなたはどうする?文化祭も人生も選択の連続

ちまたではときどき「人生は選択の連続」と言われることがありますが、それは文化祭においても例外ではありません!

今回は筆者の実体験をもとに、何かを選択することの難ししさとそれに対する向き合い方について述べていきたいと思います。日頃から迷ったり、悩んだりすることが多い人への手助けにつながれば幸いです。

文化祭で「選択」が迫られる場面とは

文化祭において選択がしいられるような状況とは、とどのつまり
  • 参加する文化祭の学校をどこにしようか選ぶとき
  • その文化祭で楽しみたい企画(出し物)を選ぶとき

こういった場合に生じます。
文化祭を知ってまだ間もない頃であれば特に気にするようなことでもないのですが、ある程度祭りに慣れ親しんでくると、このあたりで意外と悩ましい思いをしてしまうこともしばしばありますね…(苦笑)。

参加する文化祭(学校)の行き先を選ぶとき


普段からどこかに外出する用事があるときは、大抵あらかじめ行き先を決めておく(決まっている)ことが多いですよね。あるいは行き先の候補や方角だけでもそれなりに絞る人が多数かと思います。

文化祭は基本的に、同じ日程(おもに週末の土日の二日間)でいくつもの学校で一斉に開催されるものですが、その土日だけでも数校の、場合によっては数十校もの文化祭が一度に開催される地域もあります。

文化祭はその性質上、一度のシーズンで巡れる学校の数には限りがあります。それだけならまだしも、何よりつらいのは「見逃してしまった文化祭は、事実上来年(次回)までお預けになってしまう」ことです。

毎年楽しめるという意味ではまたチャンスは訪れますが、一年とは長いようで短いようで、しかし長く感じられるものです。ゆえに学校の行き先を厳選しようとなると、それなりに慎重になってしまう人もいるのではないでしょうか。

その文化祭で楽しむ企画(出し物)を選ぶとき

これは中高一貫校や大学などの大規模なところにありがちなのですが、企画や見どころが大量にある文化祭は、時として取捨選択をしいられることがしばしばあります。

企画や見どころの数が多いことそれ自体は確かにうれしいものです。ただし内容次第では、それだけ時間内に企画を一通り満足に見切れない可能性もあるということでもあります。

さらに運が悪いと、自分が見たい企画が、同じ時間帯に二つ以上並行してしまうこともあります(通称:半強制ダブルブッキング)。音楽フェスなどの参加経験がある人であれば、何となくイメージがつかみやすいかもしれません。

状況にもよりますが、こうなるといずれかの企画を断念せざるを得なくなるため、どうあがいてもわだかまりが残ってしまいます。文化祭に限らずこうした経験がある人にとっては、まさに苦渋の決断になりますね…。

始めから見たい企画がはっきりと決まっていたり、一日に複数回実施されたりする企画であればそれほど問題にはなりませんが、こうした選択肢の多さゆえの弊害が起こり得ることは文化祭や大規模なイベントに参加するうえでは覚えておいて損はないと思います。

いざ選択の岐路に立たされたときの対処法

前述のように、選択が求められる場面は割と至るところにあったりします。それはいつ何時も不意に訪れるものですが、だからと言ってそこから逃げていてもらちが明かないので、ある程度の「基準」を定めておくことが大事になってきます。
以下ではそのような選択や決断をうまくこなすための、いくつかの実用的な方法を紹介します。

直感で決めてみる


これが真っ先に思い浮かんだ人は結構多いのではないでしょうか?筆者も選択で困ったときは、とにもかくにもまずは直感を意識、重視するようにしています。

直感とは本能的、反射的な思考に基づくレーダーのようなものであり、最善策の一つでもあります。一見根拠に乏しくていい加減に感じられるかもしれませんが、文化祭はおろか実生活でもこれがまた意外と侮れなかったりもします。

今日はここに行きたい」「これはあとで見た方がよさそう」といったように、直感はその人の希望や願望における映し鏡そのものです。自分自身が判断基準になるという意味では責任もそれなりに伴いますが、だからこそ一番納得できる方法であるとも言えますね。

何をするにしても、直感は行動をするうえで一つの指標になってくれるはずです。自分の気持ちに素直になることで、それだけ充実した体験や思い出もまた自然と増えていくものだと思います。

未体験のものを優先する

直前で述べた「直感」にやや上乗せする形になりますが、物事の選択や判断をするときは、あらかじめ優先順位を少しでも決めておくと即断即決がしやすくなりますね。
文化祭を例にすると「大きな学校に行く」「音楽の企画は必ず見る」などがシンプルでわかりやすいと思います。

ですが、その中でも特にオススメしたいのが「これまでにまだ未体験のもの(見たことがない学校や企画)があれば、そちらを優先してみる」ことです。

というのも、文化祭に限らずイベントや娯楽の大半は、初回が最も新鮮味があって面白さを実感しやすいことから由来しています。
もちろん二回目以降もその面白さ自体は健在ですが、慣れとはこわいもので余程感銘を受けたものでもなければ、たとえ全く同じものであっても初回ほどの刺激や感動はなかなか得られなかったりもするものです。

率直に言えば、それこそ「初回(初見)の感動に勝るものなし」いったところでしょうか。これまでにほとんど興味がなかったようなものがあったら、そちらに目を向けてみるのも一つの立派な選択基準になります。

ぎりぎりまで粘る(欲張ってみる)

テーマと少し矛盾しているような気もしますが、やはり中には極力それを諦めたくない!諦め切れない!といった事例も出てくるかと思います。「二兎を追う者は一兎をも得ず」の法則を打ち破るのも、状況次第では勇敢なチャレンジ精神につながるはずです。

文化祭でたとえるなら、学校あるいは企画をはしごする(渡り歩く)という方法があります。地理に詳しい人やそれなりに場数を踏んだ人でなければ実践は難しいので、その意味では方法というよりは荒技に近いのですが…(苦笑)。

文化祭ではたまに運が良ければ、二つ以上の学校が比較的近場で同時に開催されることがあります。それを利用すれば、午前と午後をうまく使って二校とも祭りを堪能する、といったことも可能です。

実際に徒歩や自転車で数分かければ難なく行ける、目と鼻の先にあるような学校であれば十分楽しめると思います。一校で思いっきり祭りを堪能するか、二校ともぜいたくに祭りを満喫するか…。アドリブが最も問われる場面かもしれませんね?

運に頼る

それでも決められないような、本当にどうしようもないときは思い切ってに任せてみましょう。さすがに人生の重大なイベントすらも運任せにするのは危険ですが…。

極端に言えば、それこそコイントスによる裏表だけで物事を決めるようなものですが、それでいいことが起きてもよくないことが起きたとしても、全ては単純な結果論になります。
下手にプレッシャーを感じる必要もないので、その意味では最もお気軽な方法とも言えますね。

自分の意思がダイレクトに反映されるのが「直感」なら、対して「運」は自分の意思からは最もかけ離れた選択方法になります。どちらの方法にしてもそこでしか得られないものがあるはずなので、結局は状況に応じた好みの問題になってくるのだと思われます。

まとめ

  • 選択の連続とはすなわち「可能性の連続」であり、それは日頃からいろいろな場所で起こり得る
  • 選択には直感や運はもちろん、最後まで粘ることすらも選択肢に含まれるので厳密には正解はない

筆者もそうなのですが、わたしたちはどうにも選択をするうえで何かと「後悔をなくすこと」ばかりに目が行きがちであるように感じます。
まったく後悔がないように過ごすのは難しい、というよりもこればかりは現実的にも無理に等しいと割り切った方がいいのでしょう。

むしろ大事なことは、無理に後悔をゼロにしようとすることではなく「いかに後悔を少なくできる選択肢を選べるか」を考えることではないかと思います。
それを知ることで、初めていろいろなものを選ぶことに対して、楽しさや余裕が生まれてくるのかもしれませんね。

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Niki Niki
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