コロナウイルスもエンターテインメントも、求められるは適度な隔たり

今回は特別編ということで内容も少しばかりひねったものになりますが、他の記事と変わらない気分でご覧になってもらえたらありがたいです。

未曽有(みぞう)の危機、コロナウイルスから学んだこと

この記事の投稿日から何となく察した人もいるかもしれませんが、今回はかの「新型コロナウイルス」について、おさらいもかねて少しだけ取り上げたいと思います。

死んで花実が咲くものか。コロナウイルスの脅威


ちょうどこの記事を書いた2020年の5月末日は、ようやく日本全土での緊急事態宣言が解除されて世間的にも一段落できました。(あくまで一段落であって、この時点ではまだ完全な収束や復旧には至っていないので今後また振り返す危険性もありますが…)
出来事が出来事なだけに、まさに未曽有の危機であったことは筆者も含めて誰もが認識していることかと思います。

この影響で2020年のおもに上半期は、ありとあらゆるイベントや施設での活動が中止もしくは延期に追い込まれる事態になりました。
もちろん文化祭や夏祭りといった催し物も例外ではありません(春先に行われる文化祭についてはこちらで少し紹介しています)。

地域によっては割とぎりぎりまで開催を検討していたところもあったそうですが、これだけの騒ぎがあった以上はどの道無理だったのだろうと察します。
たとえ無事に開催できたとしても観客はそれほど見込めないどころか、むしろ強行したせいで人々からの信頼を損なっていた可能性すらあったかもしれません。

命あっての物種という表現がこれほどしっくりくる事例もそうそうないと思います。自分の身の安全を守ることで手一杯な状況下では、何かを楽しもうとする余裕すらなくなってしまいます。
物理的な脅威から生まれた不安は、皮肉にも人々の活動において一つの限界を示して(教えて)くれた形になったのでしょう。

今だから見直される、人とエンターテインメントとの新たな向き合い方

そもそもなぜ今回コロナウイルスの話題を取り上げたのかいうと、タイムリーということもありますが、じつはその渦中で一つ気になった点があったからです。
それは、世間一般な娯楽(エンターテインメント)の動きに、これまでにはあまり見られなかった大きな変化があったことが強く関係しています。

自粛ムードから生まれた、娯楽の新たな可能性


コロナウイルスによる影響で、近距離での人との接触が求められる行いは全般的に禁止もしくは回避され、地域によって数週間から約一ヶ月程度の自粛をしいられるようになりました。その状況から新たに生まれたのが
  • インターネットを利用した、遠隔操作(リモートやオンライン)による娯楽の提供
  • インドアを中心とした、新たな娯楽の開拓やムーブメント

などですね。

前者は、おもに音楽などの大規模なライブ公演が中止になってしまった代わりに、お詫びもかねて過去のライブ映像を無料で動画配信するなどして、各自で対応を取っていたりします。
これはまさに情報媒体が発達、多様化してSNSが主体になりつつある現代ならではの手法としても大いに注目されていますね。

後者については、昔から今日に至るまで健在で、それでいて場所を選ばずに楽しめる読書ゲーム(アナログ・電子ゲーム含む)といった娯楽がやはり「強い」印象があります。
また、今までは特にそうしたものにふれてこなかった人でも、新しく興味を抱くようになった点なども非常に興味深いですね。

距離感が縮まったことによる弊害?

コロナウイルスによって人と人との物理的な距離こそ離れてしまったものの、一方で精神的な意味での距離感に関しては、娯楽を通すことでむしろ以前よりも深みが増したようにも感じます。

それ自体は喜ばしいことですが、世間の動きをよくよく観察していると思わず「んっ?」と感じる場面があったりもします。どういうことかというと、それは距離感が近くなりすぎるあまり、他者への礼節が失われてしまっているのではないか?という懸念です。

具体的な例としては、コロナウイルスによる騒動を境に動画配信やSNSを用いた宣伝活動をする人が、活発を通り越して過剰なくらいに見かけるようになった印象があります。
じつを言うと、筆者はこの出たがりな風潮に対していささか辟易していた部分もあります…(苦笑)。

仮にも危機的な状況下で心中おだやかではない人が多い中で、そうした人を尻目に行われる半ば売名的かつ一方的ともとれる行為は、筆者が求めるエンターテインメントとはどこか違うと言いますか、むしろかけ離れているようにも感じられました。

もしもこれが、もともと音楽を世間に届ける本業のアーティストであったり、前述のように中止になったイベントの代替として動画を配信する運営会社などであれば、それほど違和感はないのではないかと思われます。
このあたりは、他者(社会)への貢献と自己満足の、どちらを優先しているかで印象も大きく変わってくるのかもしれません。

二つの意味でしっかり守って!ディスタンス


ここから言えることは、今の時代では何かを伝えるために、特別な立場でいる必要はほばなくなったということなのでしょう。

一昔前までは、それが一部の有名著名人の特権みたいな部分もありましたが、今では情報を伝達する手段(媒体)さえ整っていれば、誰もが自分の意見を気軽に主張したりエンターテイナーになったりすることが簡単に可能になりました。

しかし、だからといって相手の事情や自分の立場をよく考えずに、むやみに土足であちこちに立ち入り踏み荒らすような無責任な真似は危険ですし、それによって無我夢中に陥った挙げ句に、本来の目的と手段が逆転してしまうのもまたむなしいものです。

何事も過ぎたるは及ばざるがごとしで、過干渉や独りよがりはかえって自分自身を苦しめてしまうだけなのだと思います。エンターテイナー(提供側)とその受け手(顧客側)との関係は、なるべく対等に近いものであった方がお互いに気分もいいですよね。

エンターテインメントの分野でも現実のコロナウイルス対策と同じように、相手への気配りを意識したディスタンス(適切な距離感)を保った方が、結果的に事がうまく運びやすいのだろうと思います。

まとめ

  • 油断大敵!物理的にも精神的にも、距離感を意識した行動を心がけるべし

思えば今回は半ば突貫で作った記事ということもあってか、文化祭要素はほとんどありませんでしたね。(苦笑)

行動に制限がかかって窮屈な思いをするのは心身ともに堪えますが、逆にそのおかげで思わぬ形で視野が広がったのもまた事実です。
筆者にとっても自分の習慣や行動、趣味を見直すきっかけになったという意味ではコロナウイルスの件はこの上ない、なさすぎる教訓になりました…。

筆者もそうですが、やはり人とはかなしい生き物で、極限まで追い詰められないと学べないことというのは多々あります。
もちろん前もってそうしたことに気が付けばそれが一番いいのですが、実際には試行錯誤を少しずつ積み重ねていくほかないのかもしれません。そして一日でも早くコロナウイルスの完全な収束を願いたいものです。(˘w˘)

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Niki Niki
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